As㌧の日記を見て思ったこと。

まず、第一に、あの文章の趣旨とは違うんだろうけど、As㌧は伺か界隈に向いてないのかな、と
思い、ちょっと寂しくなった。そして、伺か界隈はふたば界隈に劣っているのかな、と思い、
ちょっと悔しくなった。あくまでジャンルとしての性質が違うだけで、優劣ではないのだろうけど。
そんなに伺か界隈は駄目ですか?界隈の人間どもは駄目ですか?と問いただしたいが、
書いてある事はいちいち最もなので言い返せない。小屋こまま周辺は特に名有り名無しに拘るが、
一般のファンやデベロパにもそういう意識は浸透していて、それは非常につまらないものである、という指摘は、
それを当たり前のことだと思い、その中で如何に楽しくやろうかと考えていた俺には衝撃的だった。
もちろん、言い返したいことはある。あんたが楽しめないのはあんた自身が周りから引いてるからじゃないかとか、
そんな日記ばっかり書いて近寄り難い雰囲気出してるからじゃないのかとか、
ゴースト作成時や公開時から結構注目集めてたのに「仲間になれなかった」のはあんたが
「仲間になろうとしなかった」からじゃないのかとか。
彼を叩くことはいくらでも出来るけど、彼の感じたことが決して特別なものじゃない以上、
同じように感じる人は今後も出てくるだろう。その時、「あんたには合わない世界だから出ていきな」
と言ってしまうのはあまりにも小さ過ぎる。何より、今疎外感を感じているAs㌧にも
出ていって欲しくない。有名名有りだからじゃない。愁茉里が好きだから。彼の描く伺か漫画が好きだから。
ついでにふたばは流れるのが速過ぎてとても追いかけられないから(笑)。
なら一度俺達も考えてみる必要があるんじゃないか。名無しとは?名有りとは?名前とは?
俺達は名前に囚われているのか否か?他の界隈(例えばふたば)から学べることはないのか?
やっぱり、伺かに興味持ってここに来た人が、疎外感や違和感感じて出ていっちゃうなんてこと嫌じゃない。
伺かファンやデベロパであることと、界隈人であることはイコールじゃないから、
ファンやデベロパであるけれども界隈人じゃない、っていう選択肢も取り得るけど。それもなんかヤダ。
俺はやっぱ、「界隈」が好きだから。「界隈」に盛り上がって欲しいから。
だから、みんなが楽しめる界隈にするにはどうしたらいいのか、考えようよ。ねえ。